春秋おじさんのブログ

中学受験の国語をオンラインで教える家庭教師です

<2023年受験体験記>Kさん

Kさんとは5年(新6年)の2月から一緒にお勉強しました。

1年間の流れ

Kさんは受験勉強を5年(新6年)の1月から始められたばかりで、その時期にいろいろな情報収集をされていたお母さまが私を見つけてご連絡をくださいました。
Kさんはある競技の日本一の記録を持っていらっしゃるのですが、コロナ禍で思うように練習や試合ができず、そうした中で、中学受験をしようと決意し、受験勉強を始められたとのことでした。

確かに1月当時の成績はあまり良くはなかったのですが、「始めたばかりでこんなにできるのは、すごいなあ」と思いました。
また、競技の練習を熱心にされたご経験があるので、おそらく受験勉強にその経験が活きて、かなり高いレベルまで行けるだろうと思っていました。

 

月ごとにいろいろなことが起こっていたので、それを整理すると:

(2月)
春秋おじさんの授業開始
地元の四谷大塚の教材を使用した小規模塾から早稲田アカデミーへ転塾*1

(3月)
授業内容の理解も順調に進み、課題は
・文章を読む(解く)経験を増やすこと
・自分が行きたい学校を見つけること
の2点にほぼ絞られた*2

(5月)
早稲アカで生徒トラブルに巻き込まれ、転塾を検討*3
合不合偏差値が60を超える(国語も60近くまで伸びる)

(7月)
合格校の過去問に初めて取り組む*4

(8月)
NN御三家を受講するか迷った末、受講しないことにする
サピックスのSS特訓の受講を検討し、入室テストを受けたものの、入室基準点に満たず
御三家ではなく、大学付属校を第一志望にすることを決める

(9月)
大学付属校に強い個別指導の先生に習い始める

(11月)
サピックスオープンで入室基準点が取れたこと、日曜にずっと自宅にいては集中し切れないのではという懸念もあり、SS特訓に通い始める
お母さまがサピックスの先生と面談。「合格校は無理ですね」と言われる*5

(12月)
合不合は良かったが、サピックスオープンでは思うように結果が出なかった(S偏差値で50を割ってしまった)
→受験プランを決定

(1・2月)
入試本番
1月校、2月1日以降に受験したうち、志望順位の高い学校は厳しい結果に
最終的には、元々の受験プランにはなかった、S偏差値60近辺の学校(この記事内では「合格校」と表記します)を受験し、見事合格

 

…という感じでした。

Kさんにとっては上手くいかないことも多かったのではないかと思いますし、その点、私としては非常に力不足を感じる一年でもありました。Kさんが行きたいと思う学校に合格して受験生活を終えられたので、非常に救われました。

お母さまへのインタビュー

Kさんのお母さまにとっても、この一年は盛りだくさんで、なかなか文章にまとめられるものではなかったのではないかと推察します。

かなり長くなってしまうのですが、今回はKさんのお母さまにしたインタビューを掲載したいと思います。

中学へ入学後、国語に苦戦?

春秋おじさん(以下、春):いかがですか、入学式を終えられて。

お母さま(以下、母):途中から受けない方向で考えていた学校なので、入ってから知ることも多いですけど、勉強の面に関してはかなりしっかりしていて。

国語の春休みの宿題にものすごい手こずったので、英語とか数学とかやれば終わりそうなものに関しては大丈夫なんですけど、今後も国語の「文章を書け」っていう感じの宿題が出たらすごい苦戦しそうだなっていうのを考えると…。

一つは古典文学の作品を読んで、その主題というかテーマみたいなものと、それをクラスの人に紹介するような感じでその作品の魅力について書いてくださいっていうので。そのテーマが、Kには何だか…。Kは良くも悪くもあんまり人に興味がないから、そういう作品で描かれている気持ちも全くわからず…。

もう一つは課題図書があって、それに対して意見文を書くっていう宿題で。一冊の本を要約して作者の主張を400字でまとめた上で、それと別に主張に対して自分はこう思うっていう意見と、それに対するおそらく出るであろう反対意見を書いて、その反対意見に対してちゃんと意見を書く。

たとえば、「タバコを外で吸うのは良くない」みたいな感じの意見があったとしたら、「私も外で吸うのはの良くないと考える」とした上で、「タバコにはリラックス効果があるとか、タバコぐらいでそんなに気にする必要はないとか、そういう反対意見もあるだろうけれども、タバコは吸ってる人自身よりも周りにいる人に健康の害をもたらすから、だから、やっぱり吸ってはいけない」みたいな感じで、
・自分の意見
・それに対する予想される反対意見
・さらにそれを納得させるような、説得するような意見
を書いてまとめるっていう宿題が出て。なんか数学とかはいっぱいあっても一気にやれたんですけど、ギリギリまでその国語の宿題が終わらず、すごい大変でした。

春:この話を伺うと教え足りなかったというか、何を教えていたんだろう…という感じがしますけども。

母:いやいや。

春秋おじさんとお勉強して良かったこと

春:確かに、文章の内容を深掘りして教えるっていうよりは、問題演習・解き方が中心になってしまいましたよね。1年しかなかったですし。

母:2月から教えていただいてるんで本当にちょうど1年ですよね。

春:ちょうど1年くらいです。ご連絡いただいたのは、確か1月の中頃とか末ぐらいですよね。

うーん…1年を振り返ってみて、本当に大変だったなっていうのが一番に来る感想だと思うんですよね。

母:そうですね。良かったこととしては本当に娘が勉強自体を嫌いではなくて、楽しく勉強できたっていうのが一番よかったところで。

あと、そうですね。やっぱりA先生(春秋おじさん)をとても信頼していたので。私も含めて、親子ともども、お世話になりました。他の体験談を書いていらっしゃった方も書かれてましたけど、たとえば、模試の成績が良くても悪くても、それに対してA先生が全く変わることない姿勢というか、現実というか実情を受け止めてくださっていたので、その点では安心できました。もちろん結果が良くない時は結果が良くない時でこれは良くないというような形で励ましていただいたたとは思うんですけど、ただ、結果だけに踊らされずにちゃんと自分にとって何をしなければならないかとか、ここはよくできたんじゃないかとか、揺るぎない基準としてA先生っていう存在がいてくださったおかげで、そこはすごく助かりました。

一時期、国語の成績が合不合だけすごく良かった時期があったので。早稲アカの先生なんかは「本当に国語がすごく伸びて」って感じで、結果だけを見て「すごく上手くいきますよ」みたいな感じでおっしゃっていました。でも、そんなことはないよね、というか…Kは、分析してそれをやり込むという、良くも悪くもそういうところがあったので、合不合の国語に関してはすごく対応できるようになっていました。でも、サピックスのテストを受けたりするとまた全然できなかったりしたので。

そういう意味では、A先生の方で一つ一つ問題を見てくださって、ここはできた方が良かったよねとか、ここは上手く書けているんじゃないかな、っていう感じで一個一個ジャッジしてくださったので、目先の点数に踊らされることはなかったですね。

あとは、たとえば、〇〇中志望の子だったらこのレベルは間違わないとか、こういう簡単な問題を間違えると△△中では厳しいですみたいな感じで、しっかり目指すべき位置であったり、できなくてはいけないレベルに関して、すごく丁寧に細かく指示していただけたので、これができなきゃいけないという到達点を明確にして勉強することができたっていうのは、とても良かった点だなと思います。

春:もうしっかりまとめてくださっていますね笑。ありがとうございます。

Kさんが苦労したこと①ーー問題形式との相性

春:逆にこれは困ったなということはありますか?

母:そうですね。最後までA先生に言われてた部分だと思うんですけど、とにかく問題をちゃんと読まなかったりとか、気をつけてさえいればできることができない。あとから考えればできることを。質問を読み飛ばしてしまったりとか、せっかく解く手順とか、こういう型を作ってしっかりやりましょうねって言っていただいてたことが、本当に本番になるとできなくなってしまうっていうのが…そういうお子さんは多いと思うんですけど。

春:難しかったですよね。確かに、Kさんの場合、すみません、他のお子さんと比べるような話になっちゃうんですけど、顕著だったと思います*6

文章が理解できないんじゃなくて、Kさんの場合は過集中しちゃうような感じなんですよね。視野が狭まってしまうというか。自分の中でやるべき作業が決まったら、めちゃめちゃ早いんですけど。

だから、モノグサも他の人より1.5倍から2倍ぐらい速いスピードでやってるんですね。コアプラスとかもすごい早いって、おっしゃっていたじゃないですか。定型的な決まった作業に入ることができると恐ろしく早いんですけれど、複合的なところがポンって入ると、もうそこでダダダーっと崩れちゃうっていうのがあったので。そこが苦手で難しかったですね。

でも、今思えばですけど、合格校は比較的そういう問題が少なくて、相性も良かったのでしょうね。

母:そう思います。

春:非常にこう僕も感覚的に言ってましたけど、夏の時点で合格校だったらいけますねって言ったのは、今思えばそういうところを僕も感じていたのかなというふうに思いますね。

母:そうですね。合格校は国語がKにとってはひねりがなくというか、ちゃんと書いてある通りのことが読めてさえいれば、大きく点を失うことがないというか。そういう意味では、問題の傾向でも良かったのかな。

でも、最後にKが持って帰ってきた合格校の問題用紙があるんですけれど、ちゃんと間違わないぞっていう気持ちがそこから伝わってくるような…2つ選ぶ問題だったら、「2つ」にグルグル印がしてあるみたいな感じで。最後の最後まで、もう気をつけろって言い続けるしかないって、A先生もおっしゃっていましたけど。最後の最後で一応できたというか。

春:決してこちらの言いたいことがKさんに伝わってないなとか、この人やってないなって思ったわけじゃないですよ。でも、そこがちょっと苦しかったですよね。周りの大人も、Kさん本人がちゃんと分かっているだけに、それができないっていうのがもどかしいというか。お母さまも模試の点数なんかで結果として出ちゃうから、つらかったんじゃないかなと思うんですね。

Kさんが苦労したこと②ーー新6年2月からの塾通い

母:あとはやっぱり、テストの場数を踏んでないっていうのが…。サピの模試を受けたりですとか、してはいましたけど、それでも4年生からやってる子と比べると圧倒的に少ないですよね。あと、サピックスの国語の授業を受けている子たちは、だいぶ記述を書いていたりとか。

早稲アカのあの…予習シリーズが…別にあの専門家でもないので文句をつける気はないんですけど、なんとなくやりづらいというか。四谷大塚のシステムに乗っかっていながら、早稲アカ独自のカリキュラムで進んでいるので、授業は進んでしまうけど、週テストは2週間ぐらい前にやったものがテストで出てきたりとか。予習ナビは四谷大塚のシステムを使っているけれども、早稲アカの方が進度が早いから予習ナビは全然使えないです。予習ナビが使えないから、特にうちの場合は(5年生の授業を受けていないので)全然やったことがないところを予習も何もしないで授業受けてもちんぷんかんぷんだったりとかして。

あと、早稲アカは先生が自由なんで、サピックスでそういうことはあんまりないと思うんですけど、先生が割と自分の個人的な話とかマニアックな全然関係ない、たとえば日比谷高校の魅力を30分くらい話してしまって、なんか急に急ぎ足でバーッと問題だけやって終わっちゃったりとか。先生の裁量に任せて自由に授業をしていいっていう塾であったっていうのもあって。よく分からないまま授業が終わっちゃって、本当に授業の時間がもったいないっていうようなこともあったので…。ちょっと難しかった点は、そういう(受験勉強を)始めたのが遅かった分、他の生徒との前提が違うだけにちょっと塾で難しい部分もあったっていうことですね。

春:でも逆に早稲アカで良かったこともあるんじゃないですか?先生が親身に見てくださった。

母:そうですね、あの…サピックスはカリキュラムもしっかりしてて、先生の言うこともきちっとしたアドバイスですけれども、面倒見は良くなくて。

一方で早稲アカは理科は何やったらいいんですかって言っても、「問題の解き方とかは教えられるけれども、ちょっとあんまり中学受験について詳しくないので、全体的にこの学校に受かるためには何をしたらいいというのは、ごめんなさい、ちょっと僕わからないんです」って言われて、ちょっと途方に暮れてた時期があったんですけど。

ただ、自塾で扱うテキストじゃないから質問は受けないとか、そんな風に言われることは一切なくて、サピックスのテキストでも手取り足取り教えていただけたので、そういう意味では早稲アカとサピのある意味「いいとこどり」をして、サピのカリキュラムの良さと早稲アカの面倒見の良さも取り入れることが最後の方はできたのではないかと思います。あんまり他の人にはお勧めできないですけど。

春:早稲アカとか四谷大塚のテキストの足りない部分をサピのテキストから自分で見つけてきて教えてもらうって、さらっとおっしゃっていましたけれど…この話を伺ってすごいなと思ったのは、サピックスのテキストを見て、どこが予習シリーズのカリキュラムにないところかって、自分でまず見つけ出すっていうところですよね。ほとんどのお子さんは自分ではできないし、やるとしてもすごい時間かかっちゃって現実的じゃないというふうになっちゃうと思うんですけど。Kさんがそれだけ処理力をお持ちだったっていうことなんですかね。

母:Kのなんですかね、なんでもそうなんですけど基本的にはないものを無理矢理どうこうするよりは、今持っているものを活かせる方向で進もうとは考えてたんで、Kは本当に準備をしておけば、ヨーイ、ドンで走らせさえすれば、目標に向かってガーッとやっていけるというか。そうですね…息を止めて走るのが得意な子ですねって言われたことも前あって。本当に良くも悪くも、ものを考えないでとにかくやるみたいな感じのことは得意なタイプで、多分幼いからっていうのもあると思うんですけど。あまり「これをやって何の意味になるんだろう」とかというよりは、「これやったら絶対成績伸びるからやろう、行こう」って言うと、そこに向かって走ることができるっていうような特性というか長所があったので、それは生かしたいなと思っていました。

そういう意味では、サビのテキストをずらっと、こう…60冊ぐらいありましたけど、60冊を目の前にガンと積んで。で、終わったらダンボール入れていこうね、って言っていたんですけれど、その山がどんどん小さくなるのが楽しいってタイプだったんで、可視化するっていうんですかね。あのバーッとあったものがどんどんどんどんやっていって、半分に減っていった時に、「一日でこんなに減っちゃってすごいね、天才だね、さすがだね」って言って、本人も楽しくなってやるっていうこともできました。そういう意味では夏休みとか直前期に山のようにあの冊子を積み上げて減らしていくっていう方法が合っていたのかな。

Kさんが苦労したこと③ーー「見たことない」

春:一方で、その量をこなしていく方法の難しい面が出ちゃったのかなって思ったのが、確か10月ぐらいだったと思うんですけど、「サピのテスト受けたけど、算数の問題は見たことないのが多かった」っていうコメントをしたりもしていましたよね。だけど、実際にその問題を確認してみたら、そんなに難しい問題じゃない、典型題とそこまで変わらない。あれって、お母さまからご覧になって、Kさんはテストでうまくいかない言い訳をしてしまっていたのか、それとも、本当に初めての問題に見えていたのか。どう感じてらっしゃったんでしょう。

母:おそらく本当にそう思ってたんだと思います。その辺考えたらできるでしょ、っていうことができないタイプだから、A先生もよく「出題者の意図を考えましょう」とおっしゃっていたこともあると思うんですけど、そういうところなんでしょうね。

全部が全部そうではないんですけど、ちょっとでも見たことない種類の問題だったりすると、見たことないっていう判定をすることがあって。知っている考え方を元にしてちょっと応用すればできるような問題でも、ちょっとでも自分の出会ったことのないパターンだと「見たことない」。図形は大丈夫なんですけど。つるかめ算でも三段になると、ちょっとした応用になっただけなのに、それはもう見たことも聞いたこともないみたいな表現を(表現力の問題もあるかなと思うんですけど)平気でそういうふうに言うから。「いや、これ似たようなの解いたことあるよ」って言っても、本人は「ない」って言って。探してきて「この問題と似てない?」って言うと、「ちょっとは似てるけど、違う問題だから」。目の前でやって見せて、「あ、本当だこれ似てるね」。決して「やったことある」とは言わないんですよ。

春:でも、私と一緒に見た時はそういう(頑固な)反応じゃなかったですよね。

母:たぶんそれは先生が「同じだよ」って言うからにはそうなんだろう、と思っているから。自分の意思じゃなくって、「自分より判断力があるって信じているA先生が言うから、そうなんだ」であって、自分の中で考えて納得して、というよりは「そっか。A先生もこう言ってるし。ママには違うって言ったけど」。

春:そういう意味では、ママ以外の第三者として私がいるっていうことには、それなりに意味はあったようですね。良かったです。

母:親子だと、どうしても距離が近いので。

話がちょっと違うところに行くんですけど、一番最初にA先生とお話しした時は、Y偏差値で50ぐらいの学校で、大学の付属に入れれば、と思っていたんですけど。予習シリーズの算数を1ヶ月ぐらいで小5の分は一冊やったみたいな話をした時に、「なかなかできないことなので、もっと上を目指しても大丈夫だと思います」って、第三者の視点から言っていただけたので。自分の娘の能力を低く見積もらずにすんでよかったなと思います。

Kさんが苦労したこと④ーー志望校を決めきれない

春:私が、うーん、心残りっていうわけじゃないんですけど、難しかったなぁって思うのが、5月くらいまでかなり順調に伸びて、数字的にも伸びていったと思うんですよね。ところが、夏にかけて志望校がいまいち決まりきらないっていうところが苦しくて。

そのあと、さらに、最難関の大学付属校を第一志望に決めた後もかなり苦しかったと思います。なんというか…そこからの伸びっていうんですかね。最難関の大学付属ゆえの難しさがあったと思うんですね。問題形式であるとか、かなり簡単めの問題を間違わないっていう、Kさんにとっては苦手な、絶対ミスできないっていうテストじゃないですか。その苦手をどう克服していくかっていう対策と、学力的に(分かりやすく言うと偏差値を)伸ばしていくっていうところと、ちょっと両立が難しかったなっていう気はするんですね。私も一緒に見ながら、特に秋以降、なかなか成績が上手く出なくてちょっと辛かったんじゃないかなって思うんですけれど。

母:そうですね、やっぱり問題の形式がKに合っていないというところと、あとはなかなかこう…特に女の子は狙って入れるわけじゃないので…。たまたま競技で春休み合宿があって、いろんな地方からいろんな人がいらっしゃった時に、やっぱりその付属校のそばの教室の方がいらっしゃって。で、すごい数の子がその学校に合格してるんですよね。なんかこう兄弟枠の多さであったり、あとやっぱりご近所枠っていうのも多分おそらく多少あるんじゃないかっていう話もあって。もちろん、それ以前に実力が満たなかったから落ちちゃったんだと思うんですけど。ただ何でしょうね…目指す学校の方向性としては、ちょっとKに合っていなかったところがあったと思います。

あと第一志望だった付属校を専門に見ている個別指導*7にも通いましたけど、今年その塾から受かった子は一人もいなくて、おそらくほぼほぼ全員受けていると思うんですけど、海城とか浅野とかに受かっている子たちも残念だったと言っていたので…。お勉強だけではない、何かがやっぱり大きく影響するのかなぁとは思うので、そういう意味では、とにかくここだけをひたすら目指すっていうのはやっぱりちょっと難しい。

春:正直、今、お母様がおっしゃったことを私も感じてはいました。後出しじゃんけんみたいでセコいんですけど、でもそれを今まで言わなかったのは明確な理由があって、やっぱりKさんが行きたい、ここにしますってなかなか言わなかった中で、この学校にしますっておっしゃったので。この学校以外は興味がないみたいなところもあったじゃないですか。そこまで言うんだったら、やっぱりそれは尊重しなきゃいけないなとは思っていたんです。お母さまはそのあたりはいかがですか。

母:そうですね、正直どこかベストな目標というよりはベターな方を選んだというか。本当は、たとえば桜蔭なら桜蔭にKがすごく入りたいって気持ちになってくれて、そこに行くっていう風に言ってくれたら、それが一番やりやすい方向性というか、夢として叶いやすい方向性であったのではないかというのは、当時も思ってましたし、今もそうは思うんですけど。

ただ、そもそも「高校受験をせずに競技に集中したいから、中学受験したい」っていう動機だったので…。なんとなく始めたのだとしても、4年生から中学受験をしようと思って、文化祭に行って憧れてとかそういう感じで、こう3年かけてちょっとずつ中学受験っていうものが体の中に入ってきて、目指すんだったら御三家を目指したいとか、そういう時間をかけて作られたしっかりしたものはありませんでした。

でも、あの第一志望校を決めたぐらいのあの段階で、どこかKが入りたいって目指せるような、高い目標みたいなものがとにかく何かないといけないっていうのもありました。あの時はこう…Kにとって本当に行きたい学校を探して、そこに通えるように、っていう部分ももちろんありましたけど、それ以上に、中学受験を乗り切るためには高い目標が絶対必要だなと思っていて、もうタイムリミットも迫っていたので。Kが納得するようないろんな条件が揃っているのが、あの付属校でした。

春:ただ、そういったお母さまの思いだけでなく、Kさん自身も意志は固まっているようには見えていたんですよね。その原因とかきっかけって何だったんでしょうか。

母:正直言って、若干私が洗脳したんじゃないかなと思います。インターネットとかでちゃんといろんなことを調べて、自分でいろんなことを決めるお子さんもいると思いますけど、でも、やっぱり小学校4年とか3年ぐらいから塾通いするにあたっては親がいい教育を受けさせようと思って、私立に行かせたいなって考えるところから、サピックスとかにみんな入るわけですよね。そうやっていく中で、じゃあこの学校見に行ってみようかって。とにかくたくさん、いっぱい見た中で選ぼうっていう保護者の方もいらっしゃるでしょうけど、やっぱりある程度、立地であったり、校風であったりが、親も合っていると感じられる学校を選ぶわけですよね。

それから、去年(2022年)の8月と今ではコロナの状況も違いましたしね。その中でじゃあ見に行けるかって…しかも、9月から志望校別特訓がどの塾でも始まるっていう時期で。

春:確かにその時期には、そういう手段しか残されてないと思いますね。

母:あとは第一志望校の部活の人たちとの交流が競技の場でちょっとあったりもしたので、たまたまその大学にいらっしゃる方っていうのが、娘にとってはいいなって思うような人たちが多かったっていうのもあって、通うイメージがつきやすかったっていうのがあったので、いいよねって。

御三家の文化祭にも申し込んだけど、結局抽選で外れちゃって行けなかったですし…そういう中では、何でしょうね。娘が自分が通うことがイメージできる学校で、なおかつ最難関と言われるところで、競技でつながった人もいるっていうところで、「やっぱりいいよね、あの学校に行けたら。競技もできるし、正直ママも受験がないっていうのは安心だし、いいよね」っていう感じで、私もKの気持ちもそうですけど、もうここの辺で決めとかないとタイムリミットだと思ったので、かなり背中を押したというか、この学校に入ったらこういう風になって、これくらいの通学時間だからとか、こんな感じの一年を過ごしてっていうような未来予想図をすごく示したので、そういう意味ではKもその気になれたというか、イメージが湧きやすかったんじゃないですかね。

春:なるほど。

受験を経て変わったか

春:その頃と今のKさんの違いというか、成長したなって思うようなところってありますか。逆に、もし変わらないっていうことであれば、現実も教えていただきたいのですけれど。

母:まだこれからだと思いますね。今、そんなに変わったとは思いませんね。

受験の最後の時は成長を感じてはいて、たとえば2/1の受験校を最終的に決めたりであったりとか、合格校を受けることを決めたりとか、そのあたりの何でしょうね…もちろん成長している部分もあるんですけど、じゃあ、実際春休みになって宿題をやろうとなった時に、やっぱり変わらない。一生このままなんでしょうね、この注意力の無さであったりとか、あのなんかちょっとぼんやりしているところとか。

春:相変わらず、他人にはあまり興味がない?

母:あんまり興味ないですね。ただ、学校には楽しく通っていて、仲の良い友達もいるので、全く興味がないというわけではないのだと思います。

春:当初心配されていた競技と学校のお勉強の両立は問題なくできそうですか?

母:……(無言で首を横に振る)。

勉強の面ではカリキュラムがしっかりしていることは魅力的なんですけど、試験が細かく毎週毎週小テストがあるみたいで、その合格最低点が80点。平均点が低いテストだとクラスの8割以上が追試になっちゃうそうなんです。本当に基準点が高くて、それに満たないと土曜日の午後とか、しょっちゅう呼ばれるみたいで。

でも、正直、前ほどすごく競技にすべてをかけているわけではなくて、もっといろいろやりたいこともあるし、その中で競技もやりたいしっていうところで、今はやりたいことが多くて困っちゃうっていう感じですね。

春:さっきおっしゃっていた、去年の8月の競技ありきで考えていた、という状況からは変わられた、ということですよね。

母:興味・関心が広がったというあたりは。

あと、多分自分はすっごい勉強ができないと思っていたので、やったらできるんじゃないかっていうような多少自信がついたみたいです。

春:できないっていうのはいつぐらいまで思ってらっしゃったんですか。

母:去年の2月くらい。早稲アカに移った時ぐらいまでは、できないに違いないだろうって、本人も、申し訳ないけど、私も思っていたので。

春:そこは「周りの人はそんなに一生懸命やってませんよ」って、私が言ったとおりのことをご覧になって、実際に感じられたということですね。

母:世の中やらない人もいるんだなって。申し訳ないけど、なんか2年生ぐらいからサピに通っててとか、そういう人も結構いるのに…。

早稲田アカデミーサピックス

母:本人も、もちろん合格できて十分な結果を得られたんだけれど、あと1年もらえたら、もうちょっと上に行けたかもね、っていう風に言ったりもしていました。あの時に何をやればよかったかっていうことが今になって分かってくるというか。もしやり直せるんだったら、サピックスに入って、その都度その都度の小テストもちゃんとやってみたいな感じでやれていたら、もうちょっとこう特に国語の記述なんかもいっぱい書いたりすれば、もうちょっとはできるようになったんじゃないかとかいろんな思うところはあったりとかするので。

若干思うのは、2月に入った塾が早稲アカではなくて、サピだったらどうなったんだろうって。ちょっとは思いますけど、でもまあ、「たら」「れば」を考えたって仕方がないんですよね。

春:私も考えてしまいますが、多分こうはならなかったと思います。私の勝手な想像ですけど、サピのあの校舎では多分こうならなかっただろうと思います。

やっぱり早稲アカの先生が親身に見てくださったっていうのが大きくて、きっとサピに通っていた場合、もちろん、ひょっとしたらそこでまた違う先生との出会いがあったのかもしれないですけど、僕は忘れませんよ、面談で「合格校は無理ですね」って言われたこと。

母:でも、最後にやっぱり一応、あれですよ、そのサピックスの先生に報告のお電話をして、こちらも大人なので、「サピックスでの経験がとても活きました」って言いましたけど、そしたら「いやあ、前から思ってたんですけど、彼女は勉強ができない人ではなくて、勉強やってこなかったからなだけで、あのおそらく2/1・2/2の受験校よりは合格校に行かれた方が。頑張れば〇〇大学(第一志望だった付属校の母体の大学)に十分入れるだけの指導してくださる、教育をしてくださる学校だと思うので」って。すごい喜んでおっしゃってたから、「いや先生、落ちるっておっしゃいましたけどね」と思いましたけど笑。

春:まあ、そう考えると、やっぱり早稲アカの方が良かったし、7月の時点でもKさんは、なんか「サピックスは怖い」みたいなこともおっしゃっていたので、まあ実際のところ、2月からというのは、ちょっと難しかったのかなとは思いますね。

母:まぁ早稲アカもね、校舎によって多分全然違う。サピックスの強いところはどの校舎にいても、そこまで大きな差がないことではないかなと。早稲アカは本当に全然違うので。

あと驚いたのは、早稲アカの別の校舎を検討したとき、先生だけを見たら本当にレベルは高かったと思うのですけれど、騒々しい子がいて、しかもその子は辞めたり入ったりするっていう。体験に行って、なんかうるさいなぁと思っていたら、もっとうるさい奴が来月から帰ってくるよって聞いて、すっかりびっくりして。サピだとあんなにうるさいと、きっと辞めてくださいってなるんじゃないかなって、思うんですけど。

春:そういうところは、早稲アカはやっぱりシビアなのかな。先生たちの(生徒数の)ノルマが。

母:本当にそうなんだっていう気はしますね。テストとかでちょっと悪かったり、やめちゃいそうな子がいたりすると、必死で電話するとか。なんかこう、親も不安を先生にすごく聞いてもらうっていう場になっちゃってるから、あの分を授業の準備であったり、過去問の添削にあてたりとかすれば、もっと良いのではないかと。

春:サービスのところで頑張るよりも、教育のところで頑張ってほしいということなんですよね、きっと。それは他の方からも聞いたことがあるので、まあ、おそらく多くの方が同じ感想を持っていらっしゃるんだろうなって思いますね。

「たら」「れば」を考えてしまうけれど…

春:そろそろ締めようかと思うのですが、他にもっとこうすれば良かった、あるいは、これが役に立ったとか、何かありますか。

母:なんでしょうね…過去問は新しい方からやればよかったなって思いました。特に2/1の受験校が直近2年で傾向変わっちゃって、結構大変だったので。もちろん十分時間に余裕があれば、早く直近の分までできるでしょうけれど。せめて親が見ておくとかすれば良かったなと思います。問題の傾向にあんまり変わりがないっていう情報だけをうのみにして、ちゃんと自分で見なかったので、実際には結構傾向が変わっていたことをちゃんと把握していなかったから。

…でも、分からないですね。それでその学校に受かっちゃってたら、合格校は受けないで、そこで受験を終わろうと思っていたかもしれないし…人生にもしもはないんでしょうけど。

春:でも、一年という他の人よりも短い受験期間で頑張っただけに、後から「もしあの時こうしていたら」と思うシーンは多かったかもしれないですね。ここまで大きな決断が立て続けにあった生徒さんは他にあまりいらっしゃらないと私も思いますね。

母:私もいろんなことがあり過ぎて、なかなか体験記をまとめられなくて…。

受験の最後の日まで、国語の先生に理科を見てくださいって言ってましたね*8。それで、ちゃんとサポートできずに申し訳ないっていうのが A先生の最後の一言だったので。

春:最後というか、受験終わった後ですよね?

母:そうです。

春:受験の前日にそんなこと言ったら、テンション下げてしまうから、絶対に言わないでおこうと思って。

母:いや、でも本当に、総合的に見ていただけたのは、とてもありがたかったです。

あとは、もう大学受験がまた6年後に待っているので…。

 

(締めると言いつつも、この後、Kさんが手こずった国語の課題のお話などがつづきました。)

Kさんのお母さま、インタビューへのご協力、ありがとうございました。

 

Kさんからのメッセージ

Kさん、合格(と言うより、もうご入学と言うべき時期ですね)おめでとうございます。
Kさんに「人生」を教えるだなんて…きっとおこがましいことをいっぱい言ってしまったんだと思います(恥ずかしいです)。でも、自分で言うのもなんですけれど、「お肉やわらかーい」の話とか、「GoogleのY本さん」の話とかは、たしかに面白かったですよね*9。話していて僕も楽しかったです。
お母さまとのお話の中では「他人に興味がない」とか「不注意」とか、いろいろと悪く(?)言ってしまいましたが(ごめんなさい)、でも、そういった多くの人が不利な点だと思うことを補って余りあるくらい、Kさんは難しい局面を切り開いていくすごい力を持っていると思います(今回の入試で証明できましたよね)。そうした自分の力を信じて、これからの人生を強く歩まれください。陰ながら応援しています。

*1:私が「小規模塾はぬるいんじゃないでしょうか?」とお母さまにお話しした翌日に転塾されたので、その速さには相当驚きました。一方で、それだけ早く対応いただけるのであれば、おそらく受験も上手くいくだろうとも思いました。

*2:結局、この2つの課題が最後まで残り続けることになりました。後に掲載するインタビューでも触れていますが、とくに1点目の課題については、大学付属校の形式に適応する訓練を重視した結果、解き方やミスを少なくすることを考えることが多く、文章内容の理解を深めるような授業はあまりできませんでした。

*3:最終的には、Kさんのクラスが上がったことでその生徒との関わりがなくなり、解決。

*4:すでに合格点に近い点数が取れていたため、春秋おじさんは「ここは受かりますよ」とコメントしました。

*5:春秋おじさんが言ったことと真逆…^^;

*6:たとえば、「適切でないものをすべて選びなさい」のように、典型的な設問「適切なものを一つ選びなさい」と違うポイントが二つ以上あると、突然対処ができなくなり、適切なものを選んでしまったり、「すべて」なのに一つだけを選んでしまったり、ということが度々起こっていました。

*7:主に社会を見ていただきました。先生には付属校独特の願書の書き方の注意点なども詳しく教えていただいたりもしました。

*8:合格校の受験前日、一緒に理科の過去問を解いていました。が、国語に比べると、あまりにも解説のレベルが低すぎたため、もう二度とこんなことがないように、と思い、その翌日から理科の勉強を始めました。2023年5月現在も勉強は継続中です…。

*9:2023年5月の時点ではまだ記事にしていませんが、ブログの記事にしようと思います。